10年前に廃業した水産加工会社の「漬け魚」の生産技術復活プロジェクト
漬け魚は私たち「ウイバー商会」にとってヘリテージともいえる商品です。まず一人の男性の話をします。
彼は高度経済成長期に上京し水産加工を生業として妻子を養っていました。
彼に転機が訪れたのは元号が昭和から平成に代わる1989年努めていた工場の業績が悪化した為
自身で菊水という水産加工を行う会社を起業しました。
創業当初は東京都墨田区の築数十年の戸建て住宅を借り上げ1階を冷凍庫も備えた加工場に改装し、
海外から輸入された魚のフィレを切り身に加工する2次加工が主な生業でした。
現在では単純な加工は日本と比べ人件費の安価な海外で加工を行うことが主流となっていますが、
当時の海外は加工技術が低く、サイズや形状が安定せず、
日本国内で職人による切り身加工の仕事がたくさんありました。
この仕事のポイントは加工ミスによる規格外品の発生を抑える事であり、
彼自身が腕の良い職人だった為、様々な工夫により規格外品の発生を抑え、
苦労をしつつも順調に会社は発展しました。
彼にとっての2回目の転機は1990年代末期でした。
当時の日本ではO-157による大規模な食中毒など食の安心安全が社会問題化した影響により
従来の様な低い衛生レベルで食品を加工することが困難となりつつあり、
一定以上のレベルの加工場を設けることが必要でした。
この為彼は全財産をなげうって東京都江東区に自社物件の工場を設立しました。
当時はバブル崩壊後で不動産相場が冷え切っている時期で、
現在では考えられない様な値段で工場を買うことができました。
この工場では以前の加工場では様々な制約で設置できなかった
冷蔵庫や加工機械を導入し2000年より新工場が稼働しました。
しかしながら当時の日本は円高が進み海外から安い製品が大量に輸入されており、
従来メインの仕事であった2次加工だけでは価格競争に勝つことが出来ず業績は低迷しました。
この状況を打破する為、彼は3次加工つまり漬け魚を作ることをメインの仕事にする方向に舵を切りました。
彼は自身で味を研究し、西京漬けと粕漬をメインに製造し、その味が高く評価され、
有名な料亭やデパ地下などに販路を広げ、新しい工場は低迷から脱出し順調に稼働しはじめました。
また、従来はシール面への漬けダレ付着による包装不良が発生する為、
袋ではなく段ボール箱や木箱に詰めて販売する方法が主流でしたが、
あることをきっかけに、包装不良を発生させずに、袋に詰める方法を考案し製品化しました。
この商品がヒットし彼の会社は大きく成長しました。
その後、西京漬けと粕漬だけではなく、照り焼き、紅麹漬け、塩麹漬け、
など様々な味を開発し販路も広げ順調に会社を運営していました。
しかしながら彼が高齢になったことと後継者が育たなかった事により2015年惜しまれながら廃業しました。
同社のレシピと加工技術は規格書や開発資料として文書で残っておりますが、
このままいくと、細かいノウハウは失われてしまう運命にあります。
我々ウイバー企画では残っていた文書の整理と彼へのヒアリングにより
現代の基準に即したレシピと製造工程を構築し、この漬け魚の生産技術の復活に取り組んでいます。