株式会社ウイバー企画
少量しか収穫できない「梅」の活用プロジェクト
山口県の下関市のはずれにある海沿いの小さな集落、豊北町阿川という集落に大浦岳という山があり、 この山のふもとに梅を栽培しているとても小さな梅林があります。 この梅林は50年ほど前に当時の家主であった鉄夫さんという方が水田の跡地に植えた梅の苗木が成長したものです。
鉄夫さんの先祖は江戸時代にはこの地で農業を営んでいました。 このころは前述の大浦岳の山頂付近で主に稲作をしていたと伝わっています。
鉄夫さんの先祖が現在の場所に移り住んできたのはいまから100年すこし前の1900年代初頭にさかのぼります。 当時この場所では萩藩の一門家老であった阿川毛利氏に仕えていた元藩士の子孫が農業をしていました。 しかし日韓併合などにより大陸への移住がブームになりこの子孫は韓国を渡ることを決意し 自身の持っていた土地を鉄夫さんの曽祖父に売却しました。
その後鉄夫さんの祖父の時代は大浦岳山頂の土地と購入した土地で地主農業を営んでいました。 また鉄夫さんの父の時代には当地での農業以外にも建築や金融業にも進出し地域経済を支えていたそうです。
鉄夫さんの時代は高度成長期でした。当時の都市化の影響による農業自体の衰退により 鉄夫さん自身も役場に努めつつ農業を行う兼業農家となりました。
時は1970年、日本はコメの過剰生産を抑え、米価を維持するために国がコメの生産量を調整する制度である減反政策が始まりました。 鉄夫さんの水田も対象になり、かといって兼業農家とは言え他の作物に転作する事も難しかったために、 鉄夫さんは減反を受け入れ農地には杉やヒノキを植林し、屋敷の周辺には梅の木を植えました。 これらの樹木は1990年代に鉄夫さんがなくなるまで、丁寧に世話をして現在この梅の木が育ち毎年300kgほどの梅が収穫できます。
しかし、鉄夫さんの没後は林業の衰退により杉やヒノキは活用されずまた梅も放置されていました。 そもそも当地は梅の産地ではなく、また収穫量も少量の為、一般的な市場には出荷が難しい状況です。 しかし鉄夫さんの想いの詰まったこの梅を活用する為に、ウイバー企画では梅の実を使った商品だけでなく 加工の過程ででる副産物も製品化すべく開発に取り組んでいます。
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